通信-20年3月13日 
Friday, March 13, 2020, 12:04
(2020.3.13 am9:15〜受) 

(コロナウイルスが原因で)
世の中の人々が、殺気立っていて、
「不安や恐怖」というものに
その意識が占有されている。

思考停止のような状況に
近しいもので、
“未来のために、何かをクリエイトする”
という発想が
存在していない(皆無)という
状況下に、その意識活動が
置かれている、という状態。

判断力や、決断力の低下というものが、
この地球上に蔓延しており、
当然、このクニの状態が、
それを物語っている。

思考回路が開放型ではなく
閉鎖的状況下に置かれていて、
問題解決の為の最良策が何なのかの、
判断が出来ないという、
あるものの意図した通りの
世界的情勢のなかに置かれている
という事実に
気が付く事が出来ない。

外部から、この地球的な状況を
俯瞰して眺めることが出来ない限り、
我を忘れて、右往左往するだけの
時間的経過の中で、
人生という時間を費やすことになるという事に
気が付くことが出来ない限り
客観的な視点で、
この世界情勢を、冷静に見つめることは
不可能に近い。

あなた方に残された時間は短いと、
くり返し伝え続けている事の意味を
自らの頭で(脳で)考え続けない限り
解決の糸口を見つける事などは
難しいであろう、ということなのです
ご理解をして頂けましたでしょうか



(2020.3.13 am10受) 

他人に依存をして
何かを、どうにかしてもらおうとする前に
今、自分が、
何をするべきなのかを、
考えなさい、ということです




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通信-20年2月10日 
Friday, March 13, 2020, 12:02
(2020.2.10 am8〜受) 

人間は、邪悪で残酷で
儚く、もろい。
“自分は正しく生きてきた” という
主張をするものほど、いとも簡単に
その存在の場を、明け渡してくれるというもの。
犯罪者のように、罪人のように、
ひどい過ちは犯してはきませんでした、
という主張を するものの心のどこかに、
自分は正しく生きてきたという主張を
死んでも手離したくない何ものかが
棲み憑いているということである
敬虔な信仰者、と言われているもの達ほど
簡単に、操作をされて
操られるということであり。
“その、指摘をされている事は、
まさか自分のことではあるまい”という、
ある種の自己肯定論を主張する
何ものかが、
その敬虔な信仰心を持っていると
(死ぬまで)思いたがっている何ものかの
心の隙間に、潜んでいるということである。
自分が正しく生きてきた、
自分は罪人ではない、
(むしろ被害者だ)という心の叫びを
手離したくはない何ものかが、
その人間存在のなかに居場所を持ち、
決してそこから離れようとはしないということに気が付けば、
何ものが、その人間の口を使用して、
その自己の正当性を主張しているのかを
冷静に判断をすることが
可能なはずである。
悪魔は人間の姿をしており、
いい人間のふりをしている
その人間存在の心の隙間に、得た棲み家を、
手離すことは無い、ということである。
悪魔の手先をするものは、自らが悪魔の手先として、
せっせとはたらいているという事に気付くこともなく、
その人物の生存期間の生存エネルギーを利用して
目的達成のために、
宿主の意識と身体を利用し続けるということであり
使われ利用をされたその人物が
その事実を知るよしもない
宿主として利用をされていた人間の主張は、
こうである
“何ものかに操作され動かされたのだから
自分は悪くはない”
というものである、この自分は悪くはないという主張を、
し続けていたい、というのが、
人間の性(さが)というものであり、
そのたましいが火にくべられる日が来るまで、
自分に時間は与えられていると
信じたがっている。
自らの暗黒面の淵を、
覗いて見ることをしたくはないもの達が
このような、ワナに、いとも簡単に引っかかり、
明け渡してくれる、ということである
“人の姿をしている”という事の、
解説の意味を、
ご理解して頂けましたでしょうか。



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通信-19年12月18日 
Wednesday, December 18, 2019, 17:51
(2019.12.18 am9〜受) 

(自分のところに)入ってきたものを、
“自分の意志で、始末をする”ことを
しない限り、“永遠の被害者”という意識が
その意識領域内において
占有することに、なります。
入ってきた、何ものかにとらわれ、自らの健全な意識が、
そのエネルギーによって、そがれ、
自らの不幸のもとが、「誰かの」「何かの」せいである
という主張をし始めるものが、
その意識の中で、頭をもたげることになるのです。
たたかうべき相手、というものを、
自分の外部に設定し、その、見えない敵との
たたかいに疲れ果て、人間は、その健全な意識領域を、
何ものかのために、あけ渡してしまう、という事が起こるのです
たたかい続けて 疲れ果て、
自らを起爆させるためのスイッチを押した時、
人間は生きる屍としての人生を選択したことになります
冷静に観察をし続け、分析し、どのような手段や方法が、
その問題点の解決につながるのかを、
考え、考察するという事が、必要であり、
我を忘れて 危機感を抱き、パニック的症状下にある状況下では、
冷静な判断や解決への糸口のようなものを見つける事は、
とても難しいものとなることでしょう。
人間が、自らを、被害者の立場に置き、自分の不幸の原因を、
外部の何ものかに見い出そうとする限り、
そこには必ず、「自分は悪くはない」という主張が存在し、
その自らの意識領域のなかで、
犯人探しのような事をし始めようとする何ものかが、
居座り続けることになるのです。
主戦場は、ひとりひとりの人間の小宇宙内であることに
気が付いたものから、
自らのうちで始末をするという意志が、
その物語たる主人公になり得ることが出来るのです。
“やられっ放しで、被害者だ”という不平や不満が
まっ先に、その口をついて出て来る限り、
正しき 義のために、たたかい続けるものになる事は、
難しいことなのでしょう。
本当に強い意志を持ち続けることが可能であるならば、
不平や、不満、愚痴や文句といった類のことは、
その口をついて出てくるものではないからです。



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通信-19年12月15日 
Wednesday, December 18, 2019, 17:50
(2019.12.15 am10:45受) 

(何が、問題なのか)
“自分自身の問題点を
 自分以外の何ものかに
 解決してもらおうとすること”。



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通信-19年10月17日 
Wednesday, December 18, 2019, 17:47
(2019.10.17晩) 
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何が正しいことで、何が偽物なのか、
情報社会に溢れているものの中から、
正しい情報を選び出すこと。
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教科書に書かれている事が、ほんとうのことならば、
どうしてこの世は、今、こんなに危機であり、ある種のゆがみを感じてしまうのか。
そこに記されていることは、まことの真実であるのかどうかを、
自ら自身で検証をしてみる必要があるのかもしれない
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じぶんが気分良く快適に、生きて死ぬだけの、存在ならば、
この今の混迷の時代において学ぶべきものが何なのかを、
見つけ出すことは相当に難しいものになるのだろう
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今という非常に難しい時代を、わざわざ選んで生まれて来た事の意味と理由を
考えることが出来ないのなら、
どのような目的のために、はたらく事を所望して生まれてきたのかを
見い出す事は、難しいものとなるだろう。
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生きる屍としての人生を、全うしたいのか、
ある種の明確な目的を持って、生まれてきたことを自覚するのか否か、
全人類に対してそれが問われているということなのだ。
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