通信-13年9月11日 
Wednesday, September 11, 2013, 12:42
(2013.9.11 am10:30) 

人間が、“○○の神”と呼び、
あがめていたもの、そのもの
それ自体が問題であり、
それらのものは、光と闇の合体物に過ぎない。
“天(あめ)降ってきたもの”と呼ばれ続けてきた
意識体のなかには
人々を支配し、その支配者としての立場に
君臨し続けることを望み、
永遠にそのシステムを構築し続けたい(よう)と
するものが数多く存在している(あるいは、していた※)
それらの、オセロの駒のような、裏表(あるいは白黒)
併(あわ)せ持つ、その仕組みを、
その全体像を、
外部から、あるいは、フカン的に
外側から見ることが出来ない限り、
人間は、その(人工的な、あるいは、つくり上げられた)システムの全体像を
理解することは出来ない、
自らに恩恵をもたらしてくれると
人間が信じたがってきた(いた)ものの
正体を知ることが出来ない限り
システムの内部に取り込まれたものであることに
気が付くことは難しい、
ということである、
人が、既に、神というものを超えた存在で
あることに 意識をシフトすることが
出来ない限り、
小さな小箱の中に閉じ込められたものを
解放(開放?)することは
とても難しいということである、
様々な過程と、それに伴なう学びがあって、
(あったからこそ)到達できることの出来る領域があり、
苦難や艱難を経験したものでしか
乗り越えることの出来ない、大きな山がある、
それを知り、それでも前へ進むのか、
あるいは、それらを避けるための言い訳を
考え続け、冷たい水の中へと足を踏み入れる
ことを、拒み続けていたいのか、否か。
それらを、あなた方が自らの意志で選択をしなさい、
ということである、つまり、結論を選び取るのは
自ら自身の判断と決断以外の何ものでもない、
ということである、    以上。


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通信-13年8月11日 
Wednesday, September 11, 2013, 12:41
(2013.8.11 pm2:) 

生きて体を持つ間に
お会い出来たことに感謝をし、
そして、
これまでの、このものの行ないに対して、
深く、陳謝を申し上げる、
先々のことに関して、まず、
深く御礼を申し上げる、
気付かない振りをし続けることに対して、
そろそろ時間の限界を感じて来たので、
まず、詫びを申し上げ、
そして、今後の事に関する、意思表示を
しておくべきであることに異議は、なし、と
判断をし、このものに申し伝えておく、
生きたまま、業火に晒され続けるのか、
あるいは、否、お役目、果たせず
このまま追放と、なりぬるのか、
そのことを、しかと、認識をし、決断をする
時期(機?)が、そろそろ近づいてきた、ようであり、
果たせぬままに去りぬるものとなるための選択肢というものは、
甚だしくも、用意は、されておらぬ。
この世(代)における、身をも心(芯)をも尽くして、
闘うべき、このとき(時、際、刻)に、…

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(※思いのたけが延々と続きそうでしたので、
ここで切りました。)

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通信-13年8月7日 
Wednesday, September 11, 2013, 12:39
(2013.8.7 pm8:55) 

私は あらかじめ この知識が
いずれ もたらされることを知っており、
そして、わざわざこの時期を選んで
生まれて来たものです。
この世における、起こる事象や、その他、出来事などを、
あらかじめ知らされており、それらのことを
全て承知の上で、今、この時期に、
生まれ出でて来た、ものです、
ひとごころにおいて、自分自身で判断の
出来るものではなく、
ただ、ある種の目的性と方向性というもの
だけを携えて、今、この時期に、
産まれ、出(い)でて来たものです、
神の意識というものが、肉体を持つ人身に
どのような影響を与えるのかを、
あらかじめ知らされていて、そして、その
本来あるべき目的というものに到達するために、
長い時間をかけて用意をしてまいりました、
人間としての自意識というものではなく、
ある種の、人に影響を与え得るものとしての
存在として、今、この時まで、存在をして参りました。
すべてのお話は、ある方向性と目的性というものを持って存在をしており、
人としての肉体を持つものは、その役割を担い、
存在をしているものに過ぎないということは、
予め知らされており、
認識をしているつもりで、ありました。
予め知らされていたことは、
それを検証するだけの事象として、現実のものとして
この世に顕されているだけのことに過ぎない
ということを知り、
そして、いつか人類は、このことを自ら自身で
知ることになる、ということを、
ある存在の側から、身体を持つ、人としての人間存在へと伝えられたというだけの
お話に過ぎません、
早く、そのことに気付いたものは、いち早く、
人の子としての新しい人生を歩むことになるのでしょう、
それらの経緯は、あとから来られた方達ほど、
いと早く、短い期間のうちに学ばれ、そして
到達することが出来る領域であるのでしょう、
ひとからひとへと伝えられる物語は、
簡単なようでいて複雑でもあり、
焦り、気をもんで急ごうとするものほど時間がかかり、
自意識で、認識をしていないものほど、
早く(速く)に到達をするものなのでしょう、
いくら時間をかけても、あるいは、それらのことを
欲していても、今生において、それを得ることが
出来ることがないと印(しる)されているものには、
次へと、まわされ、
当人がたとえそれを望んでいなくとも、今の世において
成すべきであるという印(しるし)がなされているものには、
その、お役目が与えられる、ということであり、
これまでの何億年にもわたる地球の物語を、
担うことが出来ると判断されたものには、
それ相応の役割が担わされる、という
ことなのであり、それらのことは、誰かが
決めることなのではなく、予め、ご当人の魂に
プログラムが書き込まれている、という、お話であり、
物語として用意が成されているというだけの
話でしかない、というだけのことである、
到達するまでの期間や、その他のプログラムは、
予め、その個体の魂への、書き込みが成されているというだけのお話に過ぎない、
その他の他者との比較ということの不毛さに
気付いたならば、自身の魂のプログラムと呼ばれて
いるものに、始めて向き合うことが出来るのかもしれない。
それらの一連のお話と、ストーリーというものに、
気が付くことが出来るのならば、はじめて、物語の
方向性というものが、認識することが出来るのかもしれません、
それが、このちの用意、ということなのでしょう。
                  〜pm9:23

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通信-13年6月27日 
Friday, June 28, 2013, 14:36
(2013.6.27 pm6:25)

群れて、
 仲良しお友達グループの 関係を
 続けている限り、
ひとりひとりの人間が、
 自分の役割に気が付くことは
 難しくなる。
ひとりひとりの人間が、
 自分の頭で考え続け、
何をするために この世に生まれてきたのかが
分からなければ
 その生を終えるときに
  後悔をすることになる
横のつながりを持ち続けようとすることが、
自分自身の歩みの速度を落とし、
明確な目標と、目的地へ到達することの
意味と意義という シンプルな論点を
見えないものと してしまうことに気が付かなければ、
正しい目的のために はたらく、という
ことについての 解答を導き出すことは
とても 難しいものとなります
世の中に出て、はたらくということが
人と接することによって 自分自身への学びとなり
それらの経緯を経たのちに
自らの生まれてきた意味と、目標とするもの、
それに付随した到達点というものを
自らが 自ら自身で発見することが出来る、
ということを お伝えし続けているのです
いと 小さきものとなり
扉を閉めて ひとりで祈りなさいということの
意味が分かったなら
ひとりで学び 判断をして 行動をするということの
重要さに
気が付くことが出来るはずです
向かう先を、決めておくということが、
ご自身の人生の方向性を定めることにつながります
それを 決定付けておくことが、
中心軸のぶれない状態へとつながります
それが あなた方にとっての最短ルートであり、
その人生を 生き抜く上での 道しるべであることに
気が付いたなら
これから 先の人生において、指針となるものが
何なのかを 認識することが 出来るはずです
それが、こたえ、なのではないでしょうか


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ご伝言-13年6月26日 
Thursday, June 27, 2013, 14:12
(2013.6.26 pm8:30)

『精神学』 とは、
 人間精神を、
  学びの対象とした、
 唯一の学の門です。
自らが、エントリーをした、
 その意味と理由を、
今いちど、
 お考え下さい。


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