通信-17年9月23日 
Monday, September 25, 2017, 12:16
(2017.9.23 am8頃受) 
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“スピリチュアルなものに興味がある人間が、
何故、役に立たないのか、”
     ↓
「自らが求めているものが 何なのかを
知らないからである。」
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“攻撃的で感情的な人間が、
何故、自らの粗暴や行ないを改めないのか”
     ↓
「死んだら終わりと信じて疑わない
からである。」
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“執念深く、恨み深い人間が、
何故、他人を呪い続けているのか、”
     ↓
「対象となる人間を潰して(自己満足のための)
自らの優位という位置関係を手に入れたいため
だからである。」
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(2017.9.23 am9:15受) 

貢ぎ物を持って来て、自分に便宜を図ってもらおうと
画策するもの。袖の下、袖の下、
中国共産党的、立ち位置で、そのルールのもとで
同じやり方を しようとするから、
いつまでたっても、その全体的な仕組みというものを
理解することが、できない者達。
地位や権力や名誉というものが、
その自己的存在の中での優位にあたる(該当する)
ものだから、そのルールのもとで、
ものごとを、推し進めようとするものたち。
自らの行ないの所以が、一体どこにあるのかを、
全く、当人が気が付かない、という世界のなかで
生き続けることになる、ということ。
しもべ(下僕(げぼく)として 何ものかに取り入って、
自分に、おこぼれを、便宜を図ってもらおうと
し続けるものたち、
それ 即ち 羊のルールのもとで
生き続けることを、自らが望むもの達。
羊のルールの中から、何故、自らの意志で
出ようとしないのか、
自ら考え、判断をし、行動をするという
人としての基本的な行動体系のもとで
生きるという事に、恐怖と不安を覚えるもの達。
何故か。
思考を停止したまま、何も考えずに、何ものかに従って
生き続けていることが、楽だと 信じて疑わないから。
これ即ち、下僕(げぼく)のルール、成(なり)。


(2017.9.23 am10:受) 

あなた方は嘘や欺瞞に塗(まみ)れ
自らの行ないを 正そうとすることさえもしない
死んだら終わりと 信じて疑わないから
何をしても 何の責任も 存在をしないと
信じて疑わないもの達
現世での快適さを 追い求めることにしか
執着は無く
自らの快適な人生にしか 興味を持つことがない
現在の社会情勢や、それらの起こった発端が
一体何なのかを、 どこに起点を持つのかを
調べ 考え 知ることもなく
ただ1日1日の自分だけの快適さを追い求めて
その残りの人生の時間を
浪費してゆく もの達

あなた方は 嘘や欺瞞にまみれ
この世の中で まるで クラゲか浮雲のように
漂っている
漂泊をしたまま 根無し草のように 漂い
どこかの 戻らぬ場所へと 流されて ゆきたいのか
嘘や欺瞞に まみれた もの達、
あなた方のどこに 真実が あるというのか
口から発した ことばは 留め置かれ その
こころの動きそのものさえも 正しく記録が
なされ続けている
嘘や欺瞞に まみれた もの達は
そのようにして あらかじめ用意が成された
ある場所へと 去ってゆくことになるのであろう
自らのおこないの 結果を受け取る とは
そのような ヨウテイ(要諦)、ヨウタイ)を 成すものだからである



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通信-17年8月2日 
Friday, August 4, 2017, 15:14
(2017.8.2 am8:50受) 

皆さん、
自分で自分に躓いている
だけなの。
自分で努力して
自分自身の問題点を
解決してゆくしかないの。
あなたの問題点や苦しみを、
“解決してあげる”などと言うもの
それを何と言うか
 ご存知ですか?
それを皆さん
 「神様だ」と
死ぬまで信じ続けていたい
ようですが、
正しいものは
指示せず干渉もしないで
黙って見守るものですよ。
“あなたの苦しみを
私が何とかしてあげますよ”
と言って 言葉たくみに近付いてくるものに
すべて委ねて 依存をしようとするから、
自分で自分の人生というものに
無責任なままに 生きてゆく、
ということです
“あなたのことを
助けてあげる”というものの
正体を、皆さん未だに
理解をされておられない
ご様子ですが、
それを 「悪魔」というのです。
そうやって自分のたましいを
何ものかに売り飛ばして
生きている人間が、
一体どこへ 行くのか
ご存知なのですか
自分の見たいものだけを
見ようとして、
本来の自らの正しき生き方
というものに、向き合おうとしない人間が、
どのような末路を
目指しているのかを、
一度、じっくりと、お考えになられては、
いかがですか
自らの暗黒の淵を、
見にゆく勇気もないものが
どのようにして解決策を
導き出すことが出来るというのですか
答え(回答)は、
既にお伝え済みの事であり
そこから先は徹底的に、
自らの努力と改善をするための
心掛け、というものが
絶対的に必要なのです。
他人に依存して、どうにかしてもらおうと
している限り、
自分の人生に対する責任を放棄して
何ものかに 魂を売り飛ばして、
残存時間を生存するという事に、
お気付きにならない限り、
その、自らの行ないは、正しく
記録が なされ続ける、
ということなのです。
“自らの人生に、
 自らで、責任を持て”
ということです。
人生の時間は限られています。
時間は一方方向にしか流れません
あなたの人生の主宰者は
あなた自身でしかないのです。


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通信-17年7月17日 
Tuesday, July 18, 2017, 13:28
(2017. 7.17 am9:45受) 

皆、下に落ちたくないから、何かに とりすがり、
(溺れる者は、ワラをもつかむ)
必死になって助かろうとして、もがく。
そうではなくて、何かにつかまる(つかまろうとする)
手を離して、下に落ち、(水底まで沈む、もしくは
穴の底まで落ちる)
その、底の状態が、どのようなもの(有り様)で
あるのかを知り尽くしたら、そこから先は、後は
努力をして上に登るのみ、であるということ。
(※最終知識に、既に記載されている。)
地獄を見て来た人間にしか、その地獄の有り様
というものを知り得ることは出来ない。
その地獄の有り様を経験してきた人間にしか
出来ない事が、ある。それを知って、
自分がこの先、何をして生きてゆくのかを
判断し、行動を起こすのかを決めるのは、
他人ではなく、「自分自身である」ということに
気が付くことが出来ない限り、
小さな小宇宙の中に閉じ込められた状態で、
残りの 生存期間を過ごしてゆくことになる、
ということ。
“意識の地獄”というものが、どのようなものであるのかを
知らない人間には、その解決の手段というものは
知り得ることは出来ず、また、下の下(底の底)
を知らない(知りたくはない)人間にとっては、
自らの生の意味を知ることもなく、与えられた生存の
期間の意味を知ることもなく、その生涯の時間を
費やしながら、去ってゆくことになるのであろう。
見たいものだけを見ようとして、
自らにとっての不愉快なものを排除しようと
しながら生き続けるもの達は、
自分がつくり上げた、仮空(架空)の時空の中で生き、
その生存期間の終了と共に閉ざされる、
ということである。
与えられたチャンスを、活用することが出来なかった
もの達は、こうして静かに閉じられてゆく、ということであり、
苦難や試練を経験しながら
それでもなお、自らの生を全うしようとする者達にとっては、
今回の生きる目的というものが、ある種の
「学び」であることに、気が付くことが出来るので、あろう。



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通信-17年6月17日 
Monday, June 19, 2017, 18:20
(2017. 6.17 am8:40〜受) 

お金に対して執着をするものは、
その自らの欲にとらわれ、
自らで、自らを、滅ぼすことになるのであろう
食べ物に対する、その際限のない欲望を
満たそうとする者たちは、
その、自らの快楽のための欲にとらわれ、
自らで、自らを、滅ぼすことに
なるのであろう
自分以外の人間を、自らの支配下に置いて、
自らの思いのままに、操ろうとするものたちは、
自ら自身が 何ものかの手先として
せっせとはたらいているということに
死ぬまで 気付くことはない
抑圧し、自分の思い通りに動かすために、
支配し圧力を加えるもの
声の大きな 俺様気取りの支配者達に
黙って声を上げられずに、言いなりになるしかないと、
始めから諦めているものに、
現状打破のための 
解決策のようなものが、齎されることは
無いのであろう
他人よりも、お金を持ち、
他人よりも、美味しいものを食べ、
他人を支配し抑圧して、
コントロールをし続けていたいもの
自らの強欲、貪欲、支配欲が、
一体どこから 来ているのかを
考えたことすら無いものが
一体どのようにして
解決策を導き出すことなどが
出来るであろうか

欲のために 人生を生き
何ものかの手先として
せっせとはたらき続けたものの、末路
というもの
自分は悪くはないという 大前提があって
その、悪くはない自分の保身を主張するために、
どこかの、誰かの、何かの、を理由として、
言い訳を死ぬまで し続けていたいものたち

足るを知れ
恥を知れ と、
当たり前のように心得ていたはずの
このクニの、かつて存在をしていたはずの
美徳 というもの

支配をして、搾取する
自分を守るため、という主張をしながら
自らのこころの平穏のためだけに
私腹を増やしていたいもの
死んだら終わり、だと信じて疑わないから
現世利益や 自らの欲望を満たすためだけに
生存をし続けていたいと
願うものたち

かつてこのクニに存在をしていたはずの
日本人の気質というものが、
いつ、どのような理由によって、
踏みにじられて来たのかを、
考えたことすらない者たちに、
一体、どのような解決策が、齎されるとでも、思うのか、
「調べない」「考えない」
「検証をして、解決方法を模索することすらしない」
自らの欲のことだけしか考えられない人間に、
このクニの人々は汚染され、同調をさせられた、
そういったルール付けの中から、
自らの意志で出ることをしないまま、
“あの時、誰が、このようなことを、したから、言ったから”
という主張を死ぬまで続けて、
人生を、自らの一生を終えて、閉じてゆくものたち、
「考えない」という事が、もたらす結果、というもの、
思いのエネルギーだけを 周囲に向かって排出し
「自分は何も悪くはない」という言い訳を
死ぬまで言い続けていたいもの達。
自らのつくり出した 蟻(アリ)地獄に、
自らのおこないの結果として、
もがき苦しみながら、落ちてゆく、ということ
“あの人間のせいで、自らの損益が、もたらされた”
という恨みつらみが、
暗黒のエネルギーを紡ぎ出し、
自分も他人も 夜叉道へ堕ちてゆくということに
気が付きもしない、ということ
それらの仕組みや構造を
外から客観的に俯瞰して見ることが出来ない限り、
自分が落ちた井戸の底で、自分の不幸をもたらしたと主張する
他人を呪いながら、
異議申し立ての恨みつらみのエネルギーを放出しながら
存在をし続けることに なるのでしょう

自分が何に執着をし、
何を欲しいと思い続けているのか、
富(おカネ)ですか、名声ですか、
自己顕示欲ですか、
それらの欲は、一体、何ものを満足させたいもの
なのですか
それらは、いわゆる、自分を満足させたい
「欲望」というものでは ないのか
満たしたい「欲」は、
一体、誰のためのものなのか

それが、「エゴイスト」と呼ばれるものの
正体です



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通信-17年6月4日 
Monday, June 5, 2017, 12:17
(2017. 6.4 pm1:37〜受) 

「歯周病」や、「メタボ」が、ここまで増えているのは、
現在の社会システムが(本来こうではないはずだよね)
という魂の叫びと、それでも無理をしてでも、
そこに適応しなくてはならないと、思わされているような、
何らかの意識操作に対するゆがみが、
高ストレスと、高緊張感を、
その意識内に生み出し、それを緩和するために
精神安定剤的な役割をするものとして、
過剰なまでの食べ物を摂取する、という手段を
選択する、という、現代の仕組み、というもの、
工場で大量に生産され続ける、工場食品というものが、
それらの安定供給を目的として、
保存性を重視させるために、添加をされる
薬剤の多種多様な使われ方が、
これらの現在問題となっている成人病
というものを生み出していることに
警鐘を鳴らさないのは、
それらを告白(告発)することにより、
損益を生む、多国籍企業というものの存在に、
気が付かなくてはならない。
食品の腐敗や劣化を防ぐために、大量に添加をされる物質は、
化学的に合成をされた薬剤であり、
それらが人体にどのような影響を及ぼすのか、ということに対して、
何の疑問も抱かないように、
意識を操作されている、仕組みについて、
「考えないように」させるためには、
「いいイメージを、その意識に植え付ける(埋め込む)」ことであり、
それが広告業界における多大な収入になることであり、
その根本にあるものが何なのかを考えなくてはならない。
本質的に問題のある商品を、
いかにして、良いイメージを消費者に与えて、
購買欲を、かき立てるかということを目的につくられている、
広告、媒体、というもの、
騙すもの、意識を操作されるもの、
何らかの疑問を抱かずに、宣伝されているものの
問題点にすら気付きもせずに、声高々に、
いかに良きものであるかのように宣伝を流布させるもの、
本来の、地球の自然の、循環システムと、
人間の精神の発展性というものに相反した、
人類の劣化計画のための、
ある種の法則(ルール)というものの存在に、
気が付いたものから、そのルール外における
次世代のための正しき人間のあるべき法則
というものに気が付くことになる。
それらの主役となるもの達は、これから先の時代を、
生きて、創り上げてゆかなくてはならない、
若者の世代であり、(※おそらく、十代、二十代)
それらの方達が、この先、歩き易くしてゆくために
我々の世代は、道を整えておかなくては
ならない、ということ。自分が経験した苦しみを、
後から来る者たちにも、押し付けるつもりなのか、
ということが、問われているということであり、
これから先の世のために、はたらく方達のために、
道を整えておく、という事の意味を、
深くお考え頂きたいと思います。 (pm2終了)



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