通信-09年11月26日-1 
Friday, November 27, 2009, 17:14
(2009.11.26 pm4:07受)

おとうと と そのきょうだいによる
ちのみの かんけい とは
みずのち しん あたえたもふた
その ち しん の
かんけい
おもわく とは うらはらに
でる よに とひかけを なさる
そのみのうえの ものたち
まつ こと まつの よにおいて
まつること き(キ?) の かわ の
ながるる ようい
ようい その ミヅ(ズ?)の
わき でる いでる ち
から
あふれ ながるる
キ の ちのかわ
わきいでた キ の ちのみづ(ず)
の いみ しりたえる もの の
みの ため
みの ようい
うごき たまは(わ)る ようい
うけつぐ もの の ようい
キ から ち への みち すじ
すじみち なる を
ウケ たまひ
みづ(ず)の わき いでる ちの
ほっせし ものの いみ とい
あしあとをつけ
たまわることの いみ を
ようい できた ものには
しりえる ことの 可(か) なる
こと 可(か)なること
みずの をと きき たまい
のり とを あげる ことの
い(意)をくみ その
いみなるを 知る
ははなる もの と
その たいち の うめかくし
なる ものの ときを へた
でんたつ じこう は
のり こんだ ふねの
その ゆくさきと ゆくえを
しるもの なり き
こま と こま
たま と たま の あい(愛?相?)
なる かんけいを とき
からまりた ひもの ときほぐす もの
その みのなり を
うつし たまへ
そうかん かんけいは つねにあり
そのちからの じゅばくを
へて ときはなたれたものたちの
たま の いし なるを
みちびき たまはん
ウケ たまはん
あしあとを つけ たまはれたことの
イ を くむ ものは
その イシ トウタツ する ところにまで
とどき たまはん
ウケ つがれ なん
ヒビキ こだま ヒビキ の
とおからず や
みちびきを
みちびき なるは
みち を ひき
さし しめる(す) ことの イを くみ
あと へと うしろ へと
つなぐ どうかん の
やくわりの イ を くむ
もの なりき なりき
みち びき なるは
さいごの さいご まで
みちのとだふることなく
みちびきたもふ もの の こと
ウケイ(ヒ) とは ウカヒ とは
ヒ を ウケ ツグ ものの
みの あらわしの ありよう
なりき なりき
ヒ ト を ともに みちびき
たもふ もの は
それらの ウケ ウカ ヒ の
しょうちょう なり き なりき 

  |  このエントリーのURL  |   ( 2.9 / 1681 )
通信-09年11月23日 
Monday, November 23, 2009, 21:44
(2009.11.23 pm8:10受)

たとえ どんな罪を犯したひとであっても
その罪を認めて 自分のものとして
きちんと認識をして 置かれるべき場所に整理をし、
それらの事実を 事実として 自身がそれに
向き合うことをいとわないのであれば
ほかの誰かが あなたを裁くこともなく、
さらし者にされて 侮蔑をされる こともなく
もうこれ以上 間違ったことはしないと
自分自身に約束をして それから先の人生を
歩むのなら あなたの目の前には
新しい道が もう 用意がなされていることに
気が付いて下さい
誰でも 聖人君主のように 生きているわけではありません
自らのしてきたことに 気が付いたのなら
それらを背負って この先 生きてゆくことを
きちんと決めて 様々な試練がやって来たとしても
それらを乗り越えてゆくという意志を持ち続け
それを決して手放さないことを
あなた自身が決めたのなら
周囲の目というものを気にすることなく
まっすぐに前を見据えて
生きてゆけばよいだけの話です
お前のような にんげんに
どうして そのようなことが出来ようか、という
頭の中での強迫は、すでにお伝えしたように
自らの弱点となる部分を徹底的に突いてくるのが
悪魔というものの存在の特徴だからです
自らのなかに罪を認めるものにとっては
それらの言葉が拷問の道具というものに
なるのです
誰が、あるいは何者が、あなたを地獄に
追いやって 喜ぶのかを よくよく、考えてみて下さい
裁きは 天に委ねなさい、それが、きほんです
誰かが誰かを裁くのだとしたら
その、裁くものとは、一体 何ものなのですか
自らがその権威を与えられたと思い込んでいる
そのものとは、一体、何者なのですか
ではあなたがたに お尋ねします
ひとがひとを裁くとき、それらの権威の正当性を
主張をし続けるもの、とは
一体、何ものなのですか
誰かれよりも 優れているあるいは劣っていると
優劣をつけて比較をしたがる、
それらの意識のもとは、一体どこから
やって来るのですか
そうやって周りとじぶんを 見、比べ続けて
いる限り、自らの上層にあるはずの
進化の道すじに、いつまでたっても気付くという
ことは 出来ません
他者との比較という、自覚のないレベルでの
意識活動を し続けている限り、
お互いがお互いの足を引っ張り合いをして
いるということに 気が付いて下さい
重いおもりの付いた針を引っ掛けられて
気分が良いはずがないことぐらい
誰にでも分かるはずのことです
あなたがたは これから
世のひとたちのために 正しくはたらくことが
求められます
ちいさな輪っかのなかでの 相互関係を
気にしている暇があるのなら
どうしたら 他者のために正しくはたらけるのかを
かんがえてみて下さい
考える、ことです
創造力のない未来には希望はありません
過去からの過ちのくり返しを続けることに
なるからです
時間の猶予が無いということに気が付かないと
自ら自身の内部に存在をする
アクなるものとの たたかいの場での時間の浪費に
あけくれることに なるのです
ひとりひとりの役割は違います
どういった手段により はたらくものになるのかは
人それぞれです
あなたが あなたに適するやり方で
正しく はたらけば よいだけの話です
ひとに教えられる時間には限りがあります。
不毛なたたかいに明け暮れている時間が
あるのなら、休むべきときは休み、
はたらくべきときには建設的に
ものごとを 考えてみて下さい。
誰にでも得意な分野は、あるはずです
目指すべき方向はおなじであっても
手段が違うのは当然のことなのです
それらのお伝えしている意味を
いちど、お考えになってみて下さい。


  |  このエントリーのURL  |   ( 3.1 / 1554 )
通信-09年10月21日 
Thursday, October 22, 2009, 12:41
(2009.10.21 pm6:44受)

そなたが もろうた
そのたま は
いだき (抱き) そ
“そ” の たま
“す” では なく
“そ” の たま
“そ” の いみする
そのいみ を
そなた りかいは
しておらん の じゃろう
はなれた その ばしょの
つなぐ ことの いみを
しり つなぐ こと とは
かのちの ゆくえの みのものが
しり たまい(ひ) ウケ
ツ グ ものの みの
いみする もの こと
なりき なりき
さ さんとなり
み となる ことの
いみを しり
みの あたへたまはりた
その いみ を しり
つなぐ もの は
その かのちの ゆくへ
みちの みち へと
つなぐ もの の ウケ(受け) ヒ(日・火?)
なり ウケヒ(契約)
なりき なりき
かのち の その とどめむ
その みすがたの
すがた カ タ チ
カタ の チ
あらはせ たまはん
そのみ み みの
なりにて あらはし
こう うつ の
うちの み たるらむの
あらはし ほ
みて たまへ
みて たまへ
しり ち とつなぐ
ことの いみ ほ
うけ たまひて
その つたふる ことを
あたへし たまへ
そなた その みの
なり にて
あたへし たまへ
く くり
つ なぐ ことの
いみ を しる ものと
それ
つなげる もの との
ウケヒ ウカヒ なり き なりき
たたずむ その
みすがた の かたち
あらはし たまはん
かのち にて
あり
あり

  |  このエントリーのURL  |   ( 3 / 1497 )
通信-09年10月17日 
Monday, October 19, 2009, 16:08
(2009.10.17 pm2:44受)

ひろしまの みめ むこ
たちに
でんごん と おねがい
ひろしまの な な
たちば と
くくられた そのばしょ の
いと する もの の な
なを しらず なも なきものの
みの さだめ
か と を とい
かと うを とい
たた の い
いくつかの いわくつきの
もの
か かえり び な
かえりびな
こち かえり あす かえり
かえりびな の
その ゆくすへの も のもの
も のもの
もに ふくする のとは
その をと は
きえゆき きえゆかぬ もの
の もの と みよ
うくる しつむ
うきつ しつみつ の もの
けに とへば さつき
さつ き
いっしゅんの ものの きへゆく
ものの き  きたち
つくる の つる の よ あけ
つり がね つり ばし
つり つられ
こんの よの かたまり と
なり なりわい を えずしては
まち こがれ まち のぞみ
まち まち いたらん
いたり なん
かくの よの さため たりなん
たり なん いたり なん
みつ ともへ なん
いたり なん
かと たつ たち なん
その なきから に
よう するに
みつ ち から
ふ かん ながら
かん なから いの ごとく
かしこ みて みて
みつ ちから の た ね
た(多?) ね(根?)
ひかん ながら の
たた の ね こ
うやみ まかいて
とち の もの もの
さら に いけ ともに
いけ ともに
ものふ と とも の
あしおと なり き
きて ともに
いて ともに
たらし ね の
ねと ともに
ね と ともに
かん なから の み
みち とは
うけおいた もの
しょり する やくめ なりき
そのみ たちば と ともに
のりこへる ものの み
のこと なりき
なりき
はた らく ものの いを
くみ わけ あたへる ものの
いみ と いと なりき
きき かじり
その うけあたへたまわりた
いの ち から
はた を らく に
させ なん
させ たまはりなん
たまはり なん
みず と みの ち
すすぎ たまへ
そのみを もつて
はた らき たまへ
きかし めし
あしおとの いみ と いを
くみ もち
うけい(ひ) たまはりた
こと ものの いを くみ たまへ
かしこみて
かしこみて
かしこみて
かしこみて
わが み と なりなん
みこ の みこ

  |  このエントリーのURL  |   ( 3 / 1211 )
通信-09年8月29日-2 
Friday, September 25, 2009, 09:48
(2009.8.29 am10:13受)

ひとの 生きる 時間
というものは
たかだか 数十年
その みじかい時間
一方方向にしか 進まない
時間というもの を
どのように つかい
どのように 刻んでゆくのか

自らの 満足感を
満たすために つかうのか
あるいは
どうすることが
未来の より よき世のために
なるのかを
自らの頭で 考え 社会のなかで
実践を してゆく
その からだをもって 現実の世において
体現をしてゆくことを
選択し 自らの意志で 顕わにすることを
選び 希求を するものとして
存在をしてゆく 決定を 成すもの
と なるのか

これからの この世
このちに おいて
必要とされているもの とは
何であると 思われ ますか
人間が 人間として
ヒトとして 正しく 生きるために
必要とされていること とは
一体 何であると
思われますか
ひとりひとりの にんげんが
どうある 姿 というものが
本来の 正しき 生き方を
まっとうする あり方であると
思われ ますか

どういったものの影響を受けながら
あなたは 今まで 生きてきた
存在の かたち なのですか
それらの全体構造を
理解することができたとき
ひとには その目の前に
新しい 地平 というものが
用意される

知るということは 担うということ
という 原則に 則り
いくつかの用意がなされた選択肢を
どう 選ぶのかにより
物語は展開が なされてゆく
その、結果が問われることになる

全ての全存在に 用意がなされ
その真意が 問われる
ということである
自らの立脚点 というものが
どういったもので あったのか

提示がなされているものを
自らの 自己のために
ねじ曲げ、歪曲し、
自らにとって都合のよいように 解釈をし
見たいものにしか
目を向けようと しないもの
見たくもない 自らの汚点に対しては
目を向けずに
無かったことに しておこうと 判断を
下すもの
すべて その存在の たましいに
刻まれて いるのです

そこには ひとつの かけらほどの嘘も
存在はせず
自らの都合のよいように 受け取り
つくり変えようとした
その事実も すべて
刻まれて いるのです

その じぶんは悪くはない という
主張を し続けるものの 正体を
自ら自身が 発見を しない限り
同じ 誤ちを くり返し続けることに
なるのです

自らを客観的に かつ 冷静に
眺めることが 出来ない限り
自分が今 どういった場に存在を
しているのかを 判断することは
できません
つまり 自らが 正しい場であると
思い込んでいる その状態が
全く 違う場であることに
当人だけが気が付かない
という状況に 置かれている可能性が
高いのです

正しき知識は 既に置かれています
自らのために それを わい曲し
ねじ曲げるのは ご自由ですが
それらの事実は 全て
克明に 刻まれ続けているのです
今存在をしている1分1秒 その瞬間の
すべてのものが
事実として記録が なされて
いるのです

あなたの そのおこないは
何を目的としていることなのかを
冷静に客観的に判断をすることが
出来ないと
自らの存在している場が どこなのかを
認識することが 不可能に なるのです

それらの構造を知るために
何の学びが 用意が なされたのでしょうか

自らにとって都合のよいように
物事をカイシャクし
自分の見たいものしか見ようとしないものは
その存在のシュウタイセイとして
その物語の終エンとともに
それらの事実を目の前に突き付けられる
ことになるのです

聞く耳を持たずに 目をそらし続けるものは
自らにとっての快適な 居場所を
手放したくはないと思い続けるものだからです


  |  このエントリーのURL  |   ( 2.9 / 1687 )

戻る 進む