通信-11年3月18日 
Tuesday, March 29, 2011, 16:45
(2011.3.18 pm10:10受)

生きているのが、しんどくて、
犯罪に走ったひとのことも 知っている。
そして、それを “許せない”、と言う
正しく生きてきたひとのことも、知っている。
だから、どちらのことも
否定はしないし、肯定も、しない
冷静に、客観的な立場で、
見続けること、自ら自身の主観的な
ものの見方で、善悪の判断を、なさないこと、
中立的な、立場で、
きちんと冷静に、物事を、見、
定めること、
その、立場が、あなた方には、
求められています。
自身の主観的な立場で、
善悪の判断というものを、
成さない、ということです。
人間として、どのような状況に置かれている人々に対して、
どのように接することが
正しい選択なのか、
その、判断というものが、
あなた方には求められます。
たとえ、悪人や罪人のような人であったとしても、
そういった方々に対して、どのような態度をもって、
接するのかが 問われます
いくつもの課題が もたらされ
そのたびに どのように判断をして
決定をすることが、正しい義であるのかを、
徹底的に 問われる日が 訪れるでしょう
精神を 精製する、ということが、
自ら自身の たましいを 磨く、ということなのです、
磨かれて 透明度を増した
たましいには、混(雑)じり気のない真実が
写(映)し出されることに なります
透明な 水で、ありなさい
その状態を、保ち続けることが できるよう、
努力を、なさい
その意識を保とうとする 努力が、
あなた自身を 助くることに なるのです
おそらく、つらく 苦しい思いを
今までの人生において、
何度もくり返して こられたことと思います。
それを経験しておかないと、
同じような境遇に遭われた方たちのことを
理解することはできません
知っていることならば、どのような対処方法が
改善の方向に向かわれるのかを、
お伝えすることが、できるはずです
そのために 今までの その人生の
苦労が
あったのでは、ないのですか
すべての事には 理由が あります
何のために、それまでのあなたの人生があったのかを、
冷静に ふり返ることが できたなら、
これまでの人生が、これから先の用意であったことを、
理解することが、できるはずです、
用意のための 準備期間は過ぎました、
これからが、本番です
あなたが、あなたの生きる意味というものを、
発見することが、出来ますように
                          pm10:34

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2010年3月1日の通信 
Wednesday, March 16, 2011, 10:57
※許可をいただきましたので掲出いたします。

(2010.3.1 pm6:25受)

あだたら(アダタラ?)神社のカミさんが
あなたのことを呼んでいる
タ タラ タタラ
タタラのカミが
じんし じんしと 呼んでいる
タタラは タタリ
タタリ ガミ
かこいたものを ときはなち
みよの みよいず みよいずの
ところ とどころ
たなごころ
うけい
くくりたものを ときはない
はないた ものは
うくる もの
こころが こころを よびたまい
うけい うけい と 呼んでいる
けいやくを はたしたまい
はたしたまい
ま の わ
くぐりて くぐりの わ
かきね こえうる もの たちは
たびたび たびたび
きくる み を
さらなる さらなる
みちし みち
みつる し
みちし みつる しを
はないた ときは
うけいを おいて
くくり くく くる
くく が くる

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通信-11年3月8日 
Thursday, March 10, 2011, 17:00
(2011.3.8 pm6:受)

ひとつだけ、
たったひとつ だけでよいから
自分の得意とするものを
見つけ出しなさい
それが、 あなたが あなた自身を助くる
唯一の手段となるから です
みちを かたちづくる、 ということは
自らにとって 得意な分野において
人間社会のなかで、それを活(い)かし
“はたらきなさい” ということなのです
ひとはひと、じぶんは、じぶん、ということが
理解することが できたなら
たにんと比べるということの あさはかさに
気が付くことが 出来るはずです
乗り物になると 支配をされます
それは じぶん、自身 というものが
確立なされていないためです
中心軸というものが ない限り
すぐさまに 揺らぎ というものが 発生します
ほかからの干渉に 影響を受け
右へ左へと 意見の“ぶれ”が 派生します
その影響を受け続けると
他から入ってきた情報網に操作をされます
あたかも それらの情報が
正しきものに感じてしまう、という
脳内での支配権を得たものが
ご主人さまになる、という錯覚が
起こります
自ら自身の理性的な思考回路が
確立されていない限り
よそから入ってきたものの影響を
受け続けます
そうして、「責任」というものが どこにも存在しない
暗黒の回路へと、 ひとは 導かれて
堕ちてゆきます
ひとりでゆくなら 楽なのですが、
周囲の人間を巻き込む可能性が
とても 高いのです
その回路系のなかには
自らこそが 正当である、という
いつわりの 神のごとき意識体が
存在をしています
そうやって人間は 自ら自身の
全く 認識のできていない領域で
暗黒のやみの中へと、落ちて ゆくのです
それを まなばせてもらったのだということが、
今回の お勉強 だったのでしょう
いちど 学んだことならば
骨身にしみて わかった はずです
人間は、こうやって いとも簡単に
自らの 自意識を 支配 されます
自らが経験をしてみなければ
それがどのようなものであるのかを
理解することは できません
それが、 精神を、
人間精神を 学ぶ
ということの根拠である、
ということなのです
ご理解をして いただけましたでしょうか

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通信-11年2月26日 
Wednesday, March 9, 2011, 13:49
(2011.2.26 pm0:30受)

何かを おそれているかぎり、
その、おそれているものの 支配下に、
置かれ続けることになる
自らのなかに、根差す、
その悪魔的意識体のようにも
思えるもの、とは
あなた自身が つくり出した
小宇宙のなかに 座を占め続けているものに、
過ぎません
おそれを抱いて そのおそれを
感じないで済むためには
そのものの支配下に入ることが
解決策であることを
自身が 知っているからです
ひとの意識にはたらきかけて
恐怖と支配を その意識のなかに
充満させるもの
魔的なちからを行使するものは
その支配下に自らの座が置かれていることに
気が付くことは、ない
自らの 望んでいる 自ら自身のものさしのなかで
正邪のより分けを しようと する もの
それらのものの 言い訳は
自らの正当性を主張し続けるものの
代弁者として
自らの口から発されているものだということに
気が付くものは ない
いくつもの タイプの違うもののようにも思える
その 悪魔的な意識を持つものが、
実は 1つの単体のもので多面を持ち合わせて
いるだけのことであるということに
気が付くものは ない
つまり、いくつもの種類を持ったものが
複数 存在をしているように
思い込む、
その実体は、いくつもの多面性を持ち合わせた
ひとつのものであることに
気が付くものは、ほとんど、いない、
ということである
恐れを抱いて、その傘下に入るということが、
支配、被支配の 引力圏のなかに
つなぎ止められているものであることに
気が付くことが 出来ない限り
あなたがたの シンの 解放というものは
望むことはできないのでしょう
魔的なものを おそれ
そこから逃げ出すことしか 方法を考えられないものに
どうやって 正しき解決策を見つけることなどが
できると言えるのか
じっと その正体を見据えて
つきつめない限り、その引力圏からの
解放というものは 望めないのでしょう
何を手放し、そして、何を構築してゆくのかを
判断し、決断をして、おこなうのかは
自身の判断に委ねられているのです
人に頼り続けているかぎり
自身の自立は ないのでしょう
相談をして 意見をあおぐのも、
ひとつの案です
ですが、そこから得たアドバイスをもとに、
どう うごくのか、どう行動をするのかは
自ら自身で 決断をしなければ
ならないものなのです
あなたの人生の主催者は
あなた 自身に すぎません
何度もいうようですが、
その人生を まっとうに
まともに生き抜くための 地図が
何なのかを、まだ、気が付くことが
できないのですか
助くるものは、おのれなり
その、己(おのれ)の人生の時間軸を
正しい向き に 正しい方向性を持ち
つぎのものへと つないでゆくことが
あなたがたの はたらき なのでは
ないのですか
自分の生きている時間軸内だけ
快適であれば よいのだと 思い続けていたいもの
それが どちらの方向性を向いているのかを
自覚することが、必要なのかも
しれません
人間のからだを持って 生きている時間は
長いようで、みじかいのです
そのことを、よく
考えてみて下さい

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通信-11年2月21日 
Wednesday, March 9, 2011, 13:22
(2011.2.21 pm10:10受)

自分が、その道に
つながっていると
確信しているのならば、
解決策は、
かならず、自分で
見つけることが 出来るはず。
どこかから、何かを、
自分に与えてくれることを
待つのではなく、
自らが、動き出し、
解決をするための、こたえを
探しにゆく、ということ。
自らが、動き、こたえを見つけ出してゆくために、
人生という、その場は、
提供をされているものである。

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