通信-13年10月29日 
Monday, November 11, 2013, 12:48
(2013.10.29 pm8:57) 

この国は、西欧列強の奴隷です。
その事、その事実に気付かせないような
洗脳が、幾度にも渡り、成されて来ました。
自らの主人が何ものであったのかを
冷静に自らの頭で考え、
これまでのこのクニの時代背景というものを
同時に考えながら
このクニの成り立ちについて考えない限り、
閉ざされた塀の中にいることと
同じことなのです。
果たして教えてもらったこのクニの歴史というものが
正しいものであったのかどうか、
そのことについて疑問すら抱かせないような仕組みが
もしも周到に成されていたのだとしたら、
何が正しくて、何が誤りなのかを、
冷静に判断をすることが出来るのですかと、
問うて、問われているのです。
あなたがたの脳裏に、既に、焼き付けられた
このクニの歴史の事実と言われ続けているものが、
ある立場の人間にとって都合が良くなるよう
予め、操作が成されているものであったとしたら
どうされますか、
知って見て見ぬ振りをされるのですか
それとも その事実を黙認し、
見無かったことなされますか、
どちらを取っても同じことであることに
気が付きませんか
いつの時代においても、情報操作は、なされ、
知ったもの達が後世の方々に伝えなければならないという
使命感のもとに動くものであるのか どうか、
あるいは、不特定多数の 大勢のその他の方達と共に
何も見なかった、知らなかったという、
言い訳を言い続けていたいのですかということが
問われているということです。
自分の、頭で考え、
自分の、頭で判断し、
自分の、自身による行動を起こせないものが、
他人のことをとやかく言う権利など、
無いはずです。
他人のあらを見つけて、糾弾している
ヒマがあるのなら、
ご自身の改善すべき点に目を向けるべきとは思うのですが、
いかがですか。
自らが正しい人間であると思い続けていたい人ほど
他人のあら探しをし、それを追求したがる方である、
と、お伝えしておくことにします。
他者をひきずり落とすことで、ご満悦である
という偽善のもとになっているものとは、
一体何なのでしょうか、
それがあなたの意識の主体となっている時に、
何ものが、あなたの口を使って、言葉をしゃべって
いるのでしょうか、
そのことを冷静に考えれば、“つかわれるもの”と
お伝えしているものの正体が、分かるはずです、
以上です。

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通信-13年9月27日 
Monday, September 30, 2013, 11:33
(2013.9.27 pm1:55) 

私は、この世に、この世界に、
正しき世が訪れることを、ずっと
待ち望んできていました。
新しい、世、とは、ひとりひとりのにんげんが、
正しき目的のために、ひとりひとりが自らの意志を
あらわして、同じ志(こころざし)を持つものと共に、
働(はたら)く、という世界のことです。
誰かれの欲や 利害関係の介在しない、
ともに正しき目的のために はたらく、という
世界観です。
この新しき世の姿をあらわす(顕す)のが、
このクニがヒノモトと言われる所以(ゆえん)
なのです。
ヒ(日)は ひとびとを明るく照らし、
少しでも あかるき未来のために 希望を持つことの
大切さを、ひとびとに 知らしめることと、なるでしょう
あなたがたに託されているのは
そういった 正しき未来を 自らがつくり出してゆくことの
大切さを 次の(継ぎの)世代のかた達に
伝えてゆく、という 大事な お仕事です。
このクニの、この地球の 未来を
明るくするのも 暗くするのも 自分達のはたらき次第
ということに気が付いたなら
自分が自分の成すべき はたらき というものを
見つけ出してゆくことが 出来るのかも しれません
世の中の様相を 明るくするのも 暗くするのも
自分次第 ということに気付いたならば、
どういった おこないや行動 というものが
周囲を 明るく きれいにすることが出来るのかを
考えることが 出来るはずです
地球は 出会いと 学びの場
と 伝えられていることの意味を 理解することが
出来るのなら
人との出会いや 行動を共にすることが
自ら自身への学びであることに
気が付くことが できるはずです
汚れている場所は 掃除をすれば きれいになり
暗い場所には 灯り(明かり)をともせば すむはずです
あなたがたが、その あかり と なりなさい、
という とても シンプルな 解答が
見えては こないでしょうか
それが あなた方に 託された
だいじな おしごとです。
次(継ぎ)の世代のかた達に、伝えてゆくことの
大切さに 気が付いたなら
あなたは 受け取ったものを 軽くして
お返しすることの出来るかた なのでしょう
それが、伝えたかったこと です。


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通信-13年9月11日 
Wednesday, September 11, 2013, 12:42
(2013.9.11 am10:30) 

人間が、“○○の神”と呼び、
あがめていたもの、そのもの
それ自体が問題であり、
それらのものは、光と闇の合体物に過ぎない。
“天(あめ)降ってきたもの”と呼ばれ続けてきた
意識体のなかには
人々を支配し、その支配者としての立場に
君臨し続けることを望み、
永遠にそのシステムを構築し続けたい(よう)と
するものが数多く存在している(あるいは、していた※)
それらの、オセロの駒のような、裏表(あるいは白黒)
併(あわ)せ持つ、その仕組みを、
その全体像を、
外部から、あるいは、フカン的に
外側から見ることが出来ない限り、
人間は、その(人工的な、あるいは、つくり上げられた)システムの全体像を
理解することは出来ない、
自らに恩恵をもたらしてくれると
人間が信じたがってきた(いた)ものの
正体を知ることが出来ない限り
システムの内部に取り込まれたものであることに
気が付くことは難しい、
ということである、
人が、既に、神というものを超えた存在で
あることに 意識をシフトすることが
出来ない限り、
小さな小箱の中に閉じ込められたものを
解放(開放?)することは
とても難しいということである、
様々な過程と、それに伴なう学びがあって、
(あったからこそ)到達できることの出来る領域があり、
苦難や艱難を経験したものでしか
乗り越えることの出来ない、大きな山がある、
それを知り、それでも前へ進むのか、
あるいは、それらを避けるための言い訳を
考え続け、冷たい水の中へと足を踏み入れる
ことを、拒み続けていたいのか、否か。
それらを、あなた方が自らの意志で選択をしなさい、
ということである、つまり、結論を選び取るのは
自ら自身の判断と決断以外の何ものでもない、
ということである、    以上。


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通信-13年8月11日 
Wednesday, September 11, 2013, 12:41
(2013.8.11 pm2:) 

生きて体を持つ間に
お会い出来たことに感謝をし、
そして、
これまでの、このものの行ないに対して、
深く、陳謝を申し上げる、
先々のことに関して、まず、
深く御礼を申し上げる、
気付かない振りをし続けることに対して、
そろそろ時間の限界を感じて来たので、
まず、詫びを申し上げ、
そして、今後の事に関する、意思表示を
しておくべきであることに異議は、なし、と
判断をし、このものに申し伝えておく、
生きたまま、業火に晒され続けるのか、
あるいは、否、お役目、果たせず
このまま追放と、なりぬるのか、
そのことを、しかと、認識をし、決断をする
時期(機?)が、そろそろ近づいてきた、ようであり、
果たせぬままに去りぬるものとなるための選択肢というものは、
甚だしくも、用意は、されておらぬ。
この世(代)における、身をも心(芯)をも尽くして、
闘うべき、このとき(時、際、刻)に、…

------------------------------------------
(※思いのたけが延々と続きそうでしたので、
ここで切りました。)

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通信-13年8月7日 
Wednesday, September 11, 2013, 12:39
(2013.8.7 pm8:55) 

私は あらかじめ この知識が
いずれ もたらされることを知っており、
そして、わざわざこの時期を選んで
生まれて来たものです。
この世における、起こる事象や、その他、出来事などを、
あらかじめ知らされており、それらのことを
全て承知の上で、今、この時期に、
生まれ出でて来た、ものです、
ひとごころにおいて、自分自身で判断の
出来るものではなく、
ただ、ある種の目的性と方向性というもの
だけを携えて、今、この時期に、
産まれ、出(い)でて来たものです、
神の意識というものが、肉体を持つ人身に
どのような影響を与えるのかを、
あらかじめ知らされていて、そして、その
本来あるべき目的というものに到達するために、
長い時間をかけて用意をしてまいりました、
人間としての自意識というものではなく、
ある種の、人に影響を与え得るものとしての
存在として、今、この時まで、存在をして参りました。
すべてのお話は、ある方向性と目的性というものを持って存在をしており、
人としての肉体を持つものは、その役割を担い、
存在をしているものに過ぎないということは、
予め知らされており、
認識をしているつもりで、ありました。
予め知らされていたことは、
それを検証するだけの事象として、現実のものとして
この世に顕されているだけのことに過ぎない
ということを知り、
そして、いつか人類は、このことを自ら自身で
知ることになる、ということを、
ある存在の側から、身体を持つ、人としての人間存在へと伝えられたというだけの
お話に過ぎません、
早く、そのことに気付いたものは、いち早く、
人の子としての新しい人生を歩むことになるのでしょう、
それらの経緯は、あとから来られた方達ほど、
いと早く、短い期間のうちに学ばれ、そして
到達することが出来る領域であるのでしょう、
ひとからひとへと伝えられる物語は、
簡単なようでいて複雑でもあり、
焦り、気をもんで急ごうとするものほど時間がかかり、
自意識で、認識をしていないものほど、
早く(速く)に到達をするものなのでしょう、
いくら時間をかけても、あるいは、それらのことを
欲していても、今生において、それを得ることが
出来ることがないと印(しる)されているものには、
次へと、まわされ、
当人がたとえそれを望んでいなくとも、今の世において
成すべきであるという印(しるし)がなされているものには、
その、お役目が与えられる、ということであり、
これまでの何億年にもわたる地球の物語を、
担うことが出来ると判断されたものには、
それ相応の役割が担わされる、という
ことなのであり、それらのことは、誰かが
決めることなのではなく、予め、ご当人の魂に
プログラムが書き込まれている、という、お話であり、
物語として用意が成されているというだけの
話でしかない、というだけのことである、
到達するまでの期間や、その他のプログラムは、
予め、その個体の魂への、書き込みが成されているというだけのお話に過ぎない、
その他の他者との比較ということの不毛さに
気付いたならば、自身の魂のプログラムと呼ばれて
いるものに、始めて向き合うことが出来るのかもしれない。
それらの一連のお話と、ストーリーというものに、
気が付くことが出来るのならば、はじめて、物語の
方向性というものが、認識することが出来るのかもしれません、
それが、このちの用意、ということなのでしょう。
                  〜pm9:23

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