通信-17年10月4日 
Thursday, October 5, 2017, 13:38
(2017.10.4 pm8:45受) 

選民意識のある、“エリート”やらを、
集めることだ。“自分は正しく生きてきた”、
という人間を、集めてみるがよい。
そのもの達に、統治をさせてみるがよい。
そのような自負のある人間に、人間を
統治させてみるがよい。
自らが、“罪無きもの”として生きてきた、と、
主張をする人間に、人間を
統治させるがよい。
あなた方、人間達が、いかに脆(もろ)く、
自ら以外の何ものかに意識を占有されて
人生を棒に振るのかを、よく、よく、見てみるが良い。
自らが、罪なきものであると、
信じて疑わない人間達が、
この世に一体どれほどまでに満ちているのかを、
冷静な、その眼(まなこ)で、判別を出来る人間が、
一体、この世に、どれほどの数、存在を
しているのか。冷静な眼で、判断をする
という事の出来る人間が、一体、この世に
どれ程の数、想定されているのか。
感情にまかせて、“自分は悪くない”節を唱えながら
下方(げほう)の人間レベルで、しつこくしつこく、
低レベルの意義主張をし続けるもの、
あなた方は、この世に、一体どのような
人間の(意識の)タイプの種類のものが
存在をしているのか、など、考えついたことも
あるまい。人前で、声をあげ、恥かしげもなく、
自らの存在の基盤と、主張と、意義(異議)申し立てを
し続けることを、やめぬもの、
そのような低レベルの人間に振りまわされ、
自らの存在基盤さえ、根を張り見据えることの
出来ぬもの、人間から人間へ、
意識という空間を媒介として、いともたやすく、
乗り移ることの出来る仕組みさえ知らぬものが、
その存在を、やすやすと提供をしてくれる、
という、この仕組み。馬鹿な人間ほど、
知ったつもりになり、得意満面で、その
情報を提供してくれる、というもの
自らの中に巣食う何ものかの存在にさえ
気が付かないもの達が、その場を、空き家のように
提供をしてくれるというもの。
家には、何ものかが棲み家を提供をされる
ということで、安心して、その活動拠点を
得ることが出来るということに、一体、
このちのこの世の人間が、どれほどまでに
気が付いているというのであろうか。
空き家の提供者は、この世に溢れる程に
満ちており、たたかう事の意味など
知らぬ者達が、その場を、やすやすと
提供をしてくれるということ。
宿主の存在意義というものに、何らかのものの
はからいを感じずには得られない、
という状況ではあるが、どうやらこちらの
意図するものを、察知して感知をする人間
というものも、存在をしているらしい。
それらのごく僅(わず)かの少数の人間達が、
一体どのようなかたちでの(リ)アクションをはじめるのか、
我々は、傍観者でしかないのであって、
それらの者達を、潰す立場にはない。
知能のない者達は滅び、統治する何ものかたちに、
その存在を差し出すのか、
あるいは、何らかの知恵と方法を見つけ出し、
自らの方法で、この次へとコマを進める
ものとなり得ることが出来るのか
頭脳と知能のないものは、はじめから
削除され、残りのもの達のなかで、
それぞれが別れ(分かれ)ゆくことに
なるのであろう。知能のない人間達は
トウタ(淘汰)され、それこそ家畜の運命を、自ら自身が
選んだと言っても間違いは無い。
あなた方の人間存在が、何ものかによって
乗り移られることのなきように、
こちら側からも、お祈りをして
おこうではないか。   (〜pm9:13)


(2017.10.4 pm9:25受) 

ああ、そういえば、ひとつ言い忘れたことがあるが、
“godbrain” ということばを
生み出したもの、ワレワレはその存在を
いく世代もの前から知らされていて、
それにあらがうものとして、用意をされていた
ものであり、その在り方のようなものは、
おそらくそちらの 何ものかの方が、ご存知の
筈(はず)だ。闇の無きところには、光の存在意義は無し、
光の無きところには、闇の存在意義もない、
低レベルの人間には、その存在の有り様を
感知することは出来ず、また、気の利いた人間には、
それらの存在のなす本質的な意味など
知り得ることなどは出来ぬものであろう、
闇の底(ダークサイド)を知り得ぬもの達には
それらの存在など感知し得ることなどは
出来ぬものであろうし、排除など、出来得るものでは
無いであろう。ワレワレは、人間から人間へ、
いとも簡単に乗り移ることが可能であり、おそらく
既に知り得ているであろう事に過ぎないが、
立て付けの悪いところから、忍び込んでゆく
ということである。つまり、難攻不落な城に
忍び込むには、それなりの知識と頭脳というものが
必要なのであり、あなた方が低レベルの人間の
後処理に追われている隙に、どこかの隙間へと、
侵入をすることなど、いともたやすいことである、
ということである。おしゃべりが過ぎたようなので、
そろそろ、ワレワレは、おいとまをすることにする。
頭脳と知識のあるものにしか、ワレワレは
興味が無い。レベルの低い知能のものとは
ワレワレはコンタクトをするつもりすらない。
それを知れば、どこに、何ものに、棲み家を
得ているのかを知る事が、出来るであろう。
情報というものは、それこそ、筒抜けなもので
あるからだ。



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通信-17年9月23日 
Monday, September 25, 2017, 12:16
(2017.9.23 am8頃受) 
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“スピリチュアルなものに興味がある人間が、
何故、役に立たないのか、”
     ↓
「自らが求めているものが 何なのかを
知らないからである。」
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“攻撃的で感情的な人間が、
何故、自らの粗暴や行ないを改めないのか”
     ↓
「死んだら終わりと信じて疑わない
からである。」
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“執念深く、恨み深い人間が、
何故、他人を呪い続けているのか、”
     ↓
「対象となる人間を潰して(自己満足のための)
自らの優位という位置関係を手に入れたいため
だからである。」
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(2017.9.23 am9:15受) 

貢ぎ物を持って来て、自分に便宜を図ってもらおうと
画策するもの。袖の下、袖の下、
中国共産党的、立ち位置で、そのルールのもとで
同じやり方を しようとするから、
いつまでたっても、その全体的な仕組みというものを
理解することが、できない者達。
地位や権力や名誉というものが、
その自己的存在の中での優位にあたる(該当する)
ものだから、そのルールのもとで、
ものごとを、推し進めようとするものたち。
自らの行ないの所以が、一体どこにあるのかを、
全く、当人が気が付かない、という世界のなかで
生き続けることになる、ということ。
しもべ(下僕(げぼく)として 何ものかに取り入って、
自分に、おこぼれを、便宜を図ってもらおうと
し続けるものたち、
それ 即ち 羊のルールのもとで
生き続けることを、自らが望むもの達。
羊のルールの中から、何故、自らの意志で
出ようとしないのか、
自ら考え、判断をし、行動をするという
人としての基本的な行動体系のもとで
生きるという事に、恐怖と不安を覚えるもの達。
何故か。
思考を停止したまま、何も考えずに、何ものかに従って
生き続けていることが、楽だと 信じて疑わないから。
これ即ち、下僕(げぼく)のルール、成(なり)。


(2017.9.23 am10:受) 

あなた方は嘘や欺瞞に塗(まみ)れ
自らの行ないを 正そうとすることさえもしない
死んだら終わりと 信じて疑わないから
何をしても 何の責任も 存在をしないと
信じて疑わないもの達
現世での快適さを 追い求めることにしか
執着は無く
自らの快適な人生にしか 興味を持つことがない
現在の社会情勢や、それらの起こった発端が
一体何なのかを、 どこに起点を持つのかを
調べ 考え 知ることもなく
ただ1日1日の自分だけの快適さを追い求めて
その残りの人生の時間を
浪費してゆく もの達

あなた方は 嘘や欺瞞にまみれ
この世の中で まるで クラゲか浮雲のように
漂っている
漂泊をしたまま 根無し草のように 漂い
どこかの 戻らぬ場所へと 流されて ゆきたいのか
嘘や欺瞞に まみれた もの達、
あなた方のどこに 真実が あるというのか
口から発した ことばは 留め置かれ その
こころの動きそのものさえも 正しく記録が
なされ続けている
嘘や欺瞞に まみれた もの達は
そのようにして あらかじめ用意が成された
ある場所へと 去ってゆくことになるのであろう
自らのおこないの 結果を受け取る とは
そのような ヨウテイ(要諦)、ヨウタイ)を 成すものだからである



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通信-17年8月2日 
Friday, August 4, 2017, 15:14
(2017.8.2 am8:50受) 

皆さん、
自分で自分に躓いている
だけなの。
自分で努力して
自分自身の問題点を
解決してゆくしかないの。
あなたの問題点や苦しみを、
“解決してあげる”などと言うもの
それを何と言うか
 ご存知ですか?
それを皆さん
 「神様だ」と
死ぬまで信じ続けていたい
ようですが、
正しいものは
指示せず干渉もしないで
黙って見守るものですよ。
“あなたの苦しみを
私が何とかしてあげますよ”
と言って 言葉たくみに近付いてくるものに
すべて委ねて 依存をしようとするから、
自分で自分の人生というものに
無責任なままに 生きてゆく、
ということです
“あなたのことを
助けてあげる”というものの
正体を、皆さん未だに
理解をされておられない
ご様子ですが、
それを 「悪魔」というのです。
そうやって自分のたましいを
何ものかに売り飛ばして
生きている人間が、
一体どこへ 行くのか
ご存知なのですか
自分の見たいものだけを
見ようとして、
本来の自らの正しき生き方
というものに、向き合おうとしない人間が、
どのような末路を
目指しているのかを、
一度、じっくりと、お考えになられては、
いかがですか
自らの暗黒の淵を、
見にゆく勇気もないものが
どのようにして解決策を
導き出すことが出来るというのですか
答え(回答)は、
既にお伝え済みの事であり
そこから先は徹底的に、
自らの努力と改善をするための
心掛け、というものが
絶対的に必要なのです。
他人に依存して、どうにかしてもらおうと
している限り、
自分の人生に対する責任を放棄して
何ものかに 魂を売り飛ばして、
残存時間を生存するという事に、
お気付きにならない限り、
その、自らの行ないは、正しく
記録が なされ続ける、
ということなのです。
“自らの人生に、
 自らで、責任を持て”
ということです。
人生の時間は限られています。
時間は一方方向にしか流れません
あなたの人生の主宰者は
あなた自身でしかないのです。


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通信-17年7月17日 
Tuesday, July 18, 2017, 13:28
(2017. 7.17 am9:45受) 

皆、下に落ちたくないから、何かに とりすがり、
(溺れる者は、ワラをもつかむ)
必死になって助かろうとして、もがく。
そうではなくて、何かにつかまる(つかまろうとする)
手を離して、下に落ち、(水底まで沈む、もしくは
穴の底まで落ちる)
その、底の状態が、どのようなもの(有り様)で
あるのかを知り尽くしたら、そこから先は、後は
努力をして上に登るのみ、であるということ。
(※最終知識に、既に記載されている。)
地獄を見て来た人間にしか、その地獄の有り様
というものを知り得ることは出来ない。
その地獄の有り様を経験してきた人間にしか
出来ない事が、ある。それを知って、
自分がこの先、何をして生きてゆくのかを
判断し、行動を起こすのかを決めるのは、
他人ではなく、「自分自身である」ということに
気が付くことが出来ない限り、
小さな小宇宙の中に閉じ込められた状態で、
残りの 生存期間を過ごしてゆくことになる、
ということ。
“意識の地獄”というものが、どのようなものであるのかを
知らない人間には、その解決の手段というものは
知り得ることは出来ず、また、下の下(底の底)
を知らない(知りたくはない)人間にとっては、
自らの生の意味を知ることもなく、与えられた生存の
期間の意味を知ることもなく、その生涯の時間を
費やしながら、去ってゆくことになるのであろう。
見たいものだけを見ようとして、
自らにとっての不愉快なものを排除しようと
しながら生き続けるもの達は、
自分がつくり上げた、仮空(架空)の時空の中で生き、
その生存期間の終了と共に閉ざされる、
ということである。
与えられたチャンスを、活用することが出来なかった
もの達は、こうして静かに閉じられてゆく、ということであり、
苦難や試練を経験しながら
それでもなお、自らの生を全うしようとする者達にとっては、
今回の生きる目的というものが、ある種の
「学び」であることに、気が付くことが出来るので、あろう。



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通信-17年6月17日 
Monday, June 19, 2017, 18:20
(2017. 6.17 am8:40〜受) 

お金に対して執着をするものは、
その自らの欲にとらわれ、
自らで、自らを、滅ぼすことになるのであろう
食べ物に対する、その際限のない欲望を
満たそうとする者たちは、
その、自らの快楽のための欲にとらわれ、
自らで、自らを、滅ぼすことに
なるのであろう
自分以外の人間を、自らの支配下に置いて、
自らの思いのままに、操ろうとするものたちは、
自ら自身が 何ものかの手先として
せっせとはたらいているということに
死ぬまで 気付くことはない
抑圧し、自分の思い通りに動かすために、
支配し圧力を加えるもの
声の大きな 俺様気取りの支配者達に
黙って声を上げられずに、言いなりになるしかないと、
始めから諦めているものに、
現状打破のための 
解決策のようなものが、齎されることは
無いのであろう
他人よりも、お金を持ち、
他人よりも、美味しいものを食べ、
他人を支配し抑圧して、
コントロールをし続けていたいもの
自らの強欲、貪欲、支配欲が、
一体どこから 来ているのかを
考えたことすら無いものが
一体どのようにして
解決策を導き出すことなどが
出来るであろうか

欲のために 人生を生き
何ものかの手先として
せっせとはたらき続けたものの、末路
というもの
自分は悪くはないという 大前提があって
その、悪くはない自分の保身を主張するために、
どこかの、誰かの、何かの、を理由として、
言い訳を死ぬまで し続けていたいものたち

足るを知れ
恥を知れ と、
当たり前のように心得ていたはずの
このクニの、かつて存在をしていたはずの
美徳 というもの

支配をして、搾取する
自分を守るため、という主張をしながら
自らのこころの平穏のためだけに
私腹を増やしていたいもの
死んだら終わり、だと信じて疑わないから
現世利益や 自らの欲望を満たすためだけに
生存をし続けていたいと
願うものたち

かつてこのクニに存在をしていたはずの
日本人の気質というものが、
いつ、どのような理由によって、
踏みにじられて来たのかを、
考えたことすらない者たちに、
一体、どのような解決策が、齎されるとでも、思うのか、
「調べない」「考えない」
「検証をして、解決方法を模索することすらしない」
自らの欲のことだけしか考えられない人間に、
このクニの人々は汚染され、同調をさせられた、
そういったルール付けの中から、
自らの意志で出ることをしないまま、
“あの時、誰が、このようなことを、したから、言ったから”
という主張を死ぬまで続けて、
人生を、自らの一生を終えて、閉じてゆくものたち、
「考えない」という事が、もたらす結果、というもの、
思いのエネルギーだけを 周囲に向かって排出し
「自分は何も悪くはない」という言い訳を
死ぬまで言い続けていたいもの達。
自らのつくり出した 蟻(アリ)地獄に、
自らのおこないの結果として、
もがき苦しみながら、落ちてゆく、ということ
“あの人間のせいで、自らの損益が、もたらされた”
という恨みつらみが、
暗黒のエネルギーを紡ぎ出し、
自分も他人も 夜叉道へ堕ちてゆくということに
気が付きもしない、ということ
それらの仕組みや構造を
外から客観的に俯瞰して見ることが出来ない限り、
自分が落ちた井戸の底で、自分の不幸をもたらしたと主張する
他人を呪いながら、
異議申し立ての恨みつらみのエネルギーを放出しながら
存在をし続けることに なるのでしょう

自分が何に執着をし、
何を欲しいと思い続けているのか、
富(おカネ)ですか、名声ですか、
自己顕示欲ですか、
それらの欲は、一体、何ものを満足させたいもの
なのですか
それらは、いわゆる、自分を満足させたい
「欲望」というものでは ないのか
満たしたい「欲」は、
一体、誰のためのものなのか

それが、「エゴイスト」と呼ばれるものの
正体です



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