通信-09年12月20日 
Thursday, December 24, 2009, 12:00
(2009.12.20 pm0:15受)

奴隷の身となりぬるものは
自らが 何ものに奉仕を
しているものなのかを
知り得ることは ない
何ものに 呪縛され
何ものの 手先となって
その奉仕活動にエネルギーを
費やすもの として
自らが存在しているのかを
知ることはない
裁きが くだるのは
その他の 邪悪な にんげんに
だと
思いつづけていたいのは
その存在のなかの
「自分は悪くはない」という
主張を いつまでも し続けて
いたいものの言い訳でしか
ない
その 堅固で屈強な
自意識の殻を
誰かが割ってくれることを
期待し続けている限り
あなたの正しき意識は
目を覚ますことは ないのでしょう
あなたの人生の 主人公は
あなた自身で
自らの意志で 決めて
思考し 行動をする という
当たり前の 姿勢(資性?)が
伴なわない限り
何ものかの 手先として
つかわれ続けるものとなります
あなたの存在 そのもの自身に
勇気を持って向き合いましたか
あるいは 向き合うことを避けてはいませんか
正しき 精神界の あるいは
精神意識の構造に
自ら自身が 自らの内部世界に対して
きちんと 向き合いましたか
と、 お尋ねを しているのです
それらの正しき手順をふまえ
自らの存在そのものに 向き合い続け
思考をし続けたものであるのなら
何に問題があって
どのような場面で 自らがつまずき
どういった結果のもとに
今の自分が あるのかを
「考えれば」、考えれば
きちんと認識をし 判別をし 判断をすることが
できるはずです
それらの正しき過程を
きちんと ふまえましたか
あるいは ふまえてはいませんか
自らの人生が うまくいかないことを
自分以外の 原因にしたいと
思い続けている限り
あなたの目が覚めることは
ないのでしょう
逆(さか)うらみをし 呪い 妬むのは
ご自由なのですが
あなたが いくら
自分は そのようなことは していない
と 主張を なさっていても
あなたの たましいには
それらの 正しき 事実のみが
刻まれ続けて いるのです
その結果が 問われるだけの
話でしか ありません
意識していない やっていない
という主張の その奥底に
あの人間さえ いなければ
という 思いのエネルギーが発生していることを
見ない あるいは 見えないふりを
なさっている だけなのでは
ないのですか
それらのエネルギーが
イエスを殺したエネルギーそのもの
なのですよ
まだ わかりませんか
あなたのうちに あり
あなたを 苦しめ
あなたを 支配している ちからが
イエスを 殺したのだ
それは
あなた自身 なのだ
それらの事実は 既に
あなたがたには お伝えを しました
ご自身が それらの責務を
担う ということの意味を
よく お考えに なってみて下さい
自身が 被害者意識 を 持ち続けている限り
正しく はたらくことは
難しいのかも しれません
受け入れ 担い 乗り越えてゆくことの
意味を よく お考えいただかないと
あなたの うちにある
内部の暗いひかりのものが
まったく別の物語をつくり続けることになるのです
自らの基盤となるものが
その場所に とらえられ続けている限り
現実の世界での変化は
もたらされることは ないのです
そこから 出るのは
自らの意志でしか ありません
つまり 自ら自身の 救世主は
あなた ご自身でしか ないのです
どこかの 何ものかが
あなたを助けてくれるのだという
幻想を いつまでも 持ち続けている限り
“目が覚める” という ことは
ないのです
ご理解をして いただけましたでしょうか


(2009.12.20 pm2:37受)

自らが願い 手に入れたいと
思い続けている 能力
というものが
何ものに由来をしているのかによって
全く 似て非なるものの領域に
踏み込むことになるのです
ものごとが 自分の思ったとおりに
なることを 願い求めるもの
それらは悪魔の手先として
生きるものになることを
ご当人は 自覚さえ していません
自らにとっての困難な状況を
避けたいために
都合よく状況が変化することを
願い求めているものは
向き合わされている現実に対面し
現実のものとしてどう対処をすることが
正しい選択なのかを 実際に自分の頭で
考え シミュレーションし 「行動をする」
ということを しようとは しません
自らの 思いのちからで 状況が変わることを
求め続けている限り
自らが行使している そのちからが
一体 何に由来をしているものなのかを
知ることは ないのです
“知ったとしても”
たとえ それらのエネルギーを
知ったとしても
行使をしては ならない
なぜならば 闇のエネルギーが
増幅をするからである、と
お伝えを したはずです
自らが意識していない という
自らにとっての都合のよい言い訳は
残念ながら、通用することはありません
何故ならば
それらを知らずに、行使をするものと
知っているはずのものが
行使をするということは
全く別の次元の話でしか
ないからです
向き合い 担い 背負う 十字架の
意味を 伝え続けているものの事実に
目をそらし続けている限り
自らの認識思考能力というものが
つちかわれることなどは ないのです
いとも 簡単に
たやすく 乗っ取られるのは
何故なのですか
何ものに使われているのかを
自らの小宇宙から外に出て
よく よく 見てみることです
一体 何を目的とした行為を
なさろうと しているのですか
正義と 自らのための 傲慢とは
いとも たやすく その頭の中での
すり替えが なされていることに
ご自身が気が付かない限り
あなたが 全く 認識すら
出来得ていない領域で
別のものの手先になっていることに
自分だけが気が付かない世界で
生きるものとなるのです
アクなるものを潰そうとする
その 一見 正義にも見える おこないが
何ものの手先になっているのかを
よく お考えになってみて下さい
外部からの攻撃を受け続けていると
被害者意識を持ち続けているもの
それは
あなた自身の小宇宙のなかの
お話でしか ありません
つまり あなたに由来するものを
処理する義務は
あなたに あります
外部に放出をし
助けて欲しい 担って欲しいと
何ものかに すがり続けている限り
担う意志を持ち
処理をするものとして 存在をすることは
難しいのです
おわかりでしょうか
それは あなたの ご家族 ご友人
知人の方々 すべての方々に
いえることなのです
自らが選んで その日 その時
その親のもとに 生まれて来たことの
意味を よく よくお考えになって
みて下さい
自らの現在の環境に
くすぶり続けた 黒い おもいを
持ち続ける限り
あなたが 今いる その場から
次のステージへと 進むことは
難しいことなのでしょう
おなじことは 既に
もう 何度も 何度も
お伝えを し続けてきた はずです
自らの存在の内側を
見ようともしないもの
それが
見えても 見えないもの
なのです


(2009.12.20 pm9:10受)

あなたに課せられた試練
というものは
あなたの精神を成長させるための
プログラムでしか ありません
そこで 運命に屈しない勇気
というものが 必ず試されることに
なるのです
課せられた試練というものは
あなたを潰すためのものではないことに
気付いて下さい
ギリギリのところで 耐えられるように
制御が 成されて いたはずです
次に、求められるのは
知力です 知り、そして担うこと
その 自覚を 持つことです
これまでに培われてきた このちの
地(知?)識を ベースに持ち得ていないと
次にどうするべきなのか という
対策をつくり出すことが できません
これまで どうであったのか
ならば この先 どうするべきなのかを
考えるために、これまで 人間が
つくり上げてきたものの 知識を
知っておく 必要があります
知り、そして、担いなさい
それが きほんです
なぜ それらが成功し
そして なぜ それらが失敗したのかを
正しく 洞察をしておく必要が
あります
知識をベースに 考えるなら
それらの矛盾点というものが
明確に浮かび上がってくるはずです
それらを よく観察を「し続ける」ことです
次への対策法を 常に
考え続ける ということです
渦中のなかに いるものは
自らの失敗理由が わかりません
なぜならば 自らの選択こそが
正しいものだと信じて疑わないからです
よく 冷静に観察を することです
たとえ相手が何をどのように主張を
していても 絶えず 冷静な目線で
客観的に 見続ける ことです
その先に 必ず こたえが あるはずです

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通信-09年12月3日  
Thursday, December 3, 2009, 16:05
(2009.12.3 pm0:35受)

それを目にする人にとって、
一種、原型的な怒りを
呼び覚ますもの
自らの中にある その部分が
それらのものに同調をし
反応をする
その怒りのシステムというものが
同調をして反応をし合うことにより
個々の、各々の小宇宙のなかでの
反応点が 活性化をする
怒りに 身を やつすものは
その自らの怒りにより 滅ぶ(ばされる?)であろう
その原ショの 暗い光の真中に
自ら自身が とらわれ続けている
ものである限り
あたらしき 知の地平に立ち
未来を見すえて歩みをむける
ということなどは
不可能に等しい
こだわりを捨てるという行為を
手離さない限り
次の段階へのステップを 踏み
進化への道筋への歩みを
進めるということは
到底 難しい
さけび うごめき わななくのは
自由である
自由であるのだが
その場からの脱出をするのか
しないのかは
自らの選択と 意志によるものであることに
気が付かないと
残存時間内での不毛な闘いに
あけくれるものになる ということに
気が付かなければ ならない
その道を ふまえた ものでしか
到達できない 場が あるということを
お知らせしているものが 何なのか
それらの果たす役割が何なのかを
あなたがたは 知るものである

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通信-09年11月26日-2 
Friday, November 27, 2009, 17:15
(2009.11.26 pm5:09受)

みちみちて しんくん
とおからず や
さきゆき の
イザナギ の みちびきの
みちの あかるきこと
すこしも たがはず
とおからず や
さきゆきの よ の
おはし なさるる
クニ うみの
みちの あかるきこと
すこしも たがはず
たち ゆきて
やいば なり
けん と そのみの あらはし なる
あらはし なりや
きき よみとけず その えすがたにより
とらはれ しょうちょうと する
そのものたちは
しばられ くくられた そのとじた
わのなかから 出 出づることは
なき ものたち なりき
みかん の よを
たり えた ものに する
よ ときの ために
いま このばに いでて
みち ひく もの へと
みちびき たまはん
けう なる じきに おひて
みのさだめなるを
しりえるもの は
かすがい なり
かすがい なり
さだめられた そのときを えらび
よういされたる みの ありようを
えらび
かくなる ものが
とうたつてんで あるのかを
しる もの
その たまに こくいんされし
こくいん されし
うぶごえを あげしたまひた
その ちひさき みの うへの もの
まっすぐな みち の
すがしき たまのねの おと を
きき
とざされた わ から かいほうされる
そのゆくすへを しりし もの なり
なり
みの なり と
けん くん なる その かたを
さし しめす もの とは
ウケたまはりた そのおやくめを
になう ようい
そこで そのちにおいて
そのケイヤクのもとに うまれしもの
さだかなる アシおとと ともに
まひりたまはん
まひりたまはん
もののべの ちに おいて
けん つかまつり たまはん もの
ふるき ちの おは(わ)りを
そのもののすべが
たちあらはしたまはんと する
モノ
けん くん なりき
けん くん なりき
きこへる アシおとと ともに
まひらせし
まひらせし
かんだから の よ
ふるき ちの おはらせし
おはらせし
まひらせし
まひらせし
ち が うごくれば
てん うごき
てん うごくれば
ち が うごく
てん ち てん ち
てん うごくれば
ちが うごく
まひらせし
まひらせし

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通信-09年11月26日-1 
Friday, November 27, 2009, 17:14
(2009.11.26 pm4:07受)

おとうと と そのきょうだいによる
ちのみの かんけい とは
みずのち しん あたえたもふた
その ち しん の
かんけい
おもわく とは うらはらに
でる よに とひかけを なさる
そのみのうえの ものたち
まつ こと まつの よにおいて
まつること き(キ?) の かわ の
ながるる ようい
ようい その ミヅ(ズ?)の
わき でる いでる ち
から
あふれ ながるる
キ の ちのかわ
わきいでた キ の ちのみづ(ず)
の いみ しりたえる もの の
みの ため
みの ようい
うごき たまは(わ)る ようい
うけつぐ もの の ようい
キ から ち への みち すじ
すじみち なる を
ウケ たまひ
みづ(ず)の わき いでる ちの
ほっせし ものの いみ とい
あしあとをつけ
たまわることの いみ を
ようい できた ものには
しりえる ことの 可(か) なる
こと 可(か)なること
みずの をと きき たまい
のり とを あげる ことの
い(意)をくみ その
いみなるを 知る
ははなる もの と
その たいち の うめかくし
なる ものの ときを へた
でんたつ じこう は
のり こんだ ふねの
その ゆくさきと ゆくえを
しるもの なり き
こま と こま
たま と たま の あい(愛?相?)
なる かんけいを とき
からまりた ひもの ときほぐす もの
その みのなり を
うつし たまへ
そうかん かんけいは つねにあり
そのちからの じゅばくを
へて ときはなたれたものたちの
たま の いし なるを
みちびき たまはん
ウケ たまはん
あしあとを つけ たまはれたことの
イ を くむ ものは
その イシ トウタツ する ところにまで
とどき たまはん
ウケ つがれ なん
ヒビキ こだま ヒビキ の
とおからず や
みちびきを
みちびき なるは
みち を ひき
さし しめる(す) ことの イを くみ
あと へと うしろ へと
つなぐ どうかん の
やくわりの イ を くむ
もの なりき なりき
みち びき なるは
さいごの さいご まで
みちのとだふることなく
みちびきたもふ もの の こと
ウケイ(ヒ) とは ウカヒ とは
ヒ を ウケ ツグ ものの
みの あらわしの ありよう
なりき なりき
ヒ ト を ともに みちびき
たもふ もの は
それらの ウケ ウカ ヒ の
しょうちょう なり き なりき 

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通信-09年11月23日 
Monday, November 23, 2009, 21:44
(2009.11.23 pm8:10受)

たとえ どんな罪を犯したひとであっても
その罪を認めて 自分のものとして
きちんと認識をして 置かれるべき場所に整理をし、
それらの事実を 事実として 自身がそれに
向き合うことをいとわないのであれば
ほかの誰かが あなたを裁くこともなく、
さらし者にされて 侮蔑をされる こともなく
もうこれ以上 間違ったことはしないと
自分自身に約束をして それから先の人生を
歩むのなら あなたの目の前には
新しい道が もう 用意がなされていることに
気が付いて下さい
誰でも 聖人君主のように 生きているわけではありません
自らのしてきたことに 気が付いたのなら
それらを背負って この先 生きてゆくことを
きちんと決めて 様々な試練がやって来たとしても
それらを乗り越えてゆくという意志を持ち続け
それを決して手放さないことを
あなた自身が決めたのなら
周囲の目というものを気にすることなく
まっすぐに前を見据えて
生きてゆけばよいだけの話です
お前のような にんげんに
どうして そのようなことが出来ようか、という
頭の中での強迫は、すでにお伝えしたように
自らの弱点となる部分を徹底的に突いてくるのが
悪魔というものの存在の特徴だからです
自らのなかに罪を認めるものにとっては
それらの言葉が拷問の道具というものに
なるのです
誰が、あるいは何者が、あなたを地獄に
追いやって 喜ぶのかを よくよく、考えてみて下さい
裁きは 天に委ねなさい、それが、きほんです
誰かが誰かを裁くのだとしたら
その、裁くものとは、一体 何ものなのですか
自らがその権威を与えられたと思い込んでいる
そのものとは、一体、何者なのですか
ではあなたがたに お尋ねします
ひとがひとを裁くとき、それらの権威の正当性を
主張をし続けるもの、とは
一体、何ものなのですか
誰かれよりも 優れているあるいは劣っていると
優劣をつけて比較をしたがる、
それらの意識のもとは、一体どこから
やって来るのですか
そうやって周りとじぶんを 見、比べ続けて
いる限り、自らの上層にあるはずの
進化の道すじに、いつまでたっても気付くという
ことは 出来ません
他者との比較という、自覚のないレベルでの
意識活動を し続けている限り、
お互いがお互いの足を引っ張り合いをして
いるということに 気が付いて下さい
重いおもりの付いた針を引っ掛けられて
気分が良いはずがないことぐらい
誰にでも分かるはずのことです
あなたがたは これから
世のひとたちのために 正しくはたらくことが
求められます
ちいさな輪っかのなかでの 相互関係を
気にしている暇があるのなら
どうしたら 他者のために正しくはたらけるのかを
かんがえてみて下さい
考える、ことです
創造力のない未来には希望はありません
過去からの過ちのくり返しを続けることに
なるからです
時間の猶予が無いということに気が付かないと
自ら自身の内部に存在をする
アクなるものとの たたかいの場での時間の浪費に
あけくれることに なるのです
ひとりひとりの役割は違います
どういった手段により はたらくものになるのかは
人それぞれです
あなたが あなたに適するやり方で
正しく はたらけば よいだけの話です
ひとに教えられる時間には限りがあります。
不毛なたたかいに明け暮れている時間が
あるのなら、休むべきときは休み、
はたらくべきときには建設的に
ものごとを 考えてみて下さい。
誰にでも得意な分野は、あるはずです
目指すべき方向はおなじであっても
手段が違うのは当然のことなのです
それらのお伝えしている意味を
いちど、お考えになってみて下さい。


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